先日クロワッサンという雑誌で、素敵な記事を見つけました。とても感動的でした。
脚本家夫婦の木皿泉さん(本名 和泉務さん)へのインタビュー記事です。ご夫婦でドラマの脚本を書かれている方です。
夫の 和泉務(いずみつとむ)さんが脳出血で倒れて、妻の鹿年季子(めがときこ)さんが介護をされております。
お二人へのインタビュー記事のご紹介をさせていただきます。
「トムちゃんの何がなくなったら私はつらいんだろう?
才能でも、人柄でも、ましてやお金でもなくて。一番手放したくなかったのはトムちゃんのイメージだったんです。お風呂上がりみたいにほわーんとしてあったかい、のんきなイメージ。それに私はずいぶん助けられてきたし、それさえあれば生きていけるだろうなって思いました。」
「どうなったら幸せかって、漠然とし過ぎてて、みんないまひとつ実感としてわからないんですよね。だからカタログみたいなのがあって、そこから選ぶように、お金とか地位とか、人が欲望するものに欲望してる。でも私は、手術室の前でよくわかったんです。トムちゃんと一緒に仕事ができる、それが無理でも一緒にいられることが幸せだって。人に惨めだと思われることでも関係ない。例えばそれが叶わなかったとしても、何が幸せかわかったこと自体が幸せなんだと思いました。」
「夫を捨てたいとか、粗大ゴミみたいに言う人がいるけど、そういう人は日常とか生活そのものがつらいんじゃないかな。我慢に我慢を重ねてるから、夫も捨てたいし不倫もしたい。で、いつか幸せになりたい!って。でもそのいつかに一人きりだったらつまんなくないのかな。それに私は、いつか幸せなのは嫌なんです。今、機嫌よくやりたいことやって、いい暮らしができるほうがいい。それはお金があるとかじゃなくて、冗談を言い合う相手がいて、へこんでる時は誰かが励ましてくれて、ひとりぼっちじゃない。そういうことじゃないのかな。」
「夫婦って結局、大事にするから大事になる、惜しくなる、そういうことじゃないですか。」
と言った記事でした。気付くと、うるうると涙が頬をつたっていました。一緒にいる時は当たり前になってしまい、幸せであっても日々の生活で実感することを忘れてしまいがちです。
夫婦って、一緒にいることが幸せなんですよね。
「幸せ」そう感じるには、日常の中で、大事にお互いに愛を育てていくものだと思います。私達、夫婦も17年になりますが、支え理解し合うことで、愛を育て深めてきたように思います。
17年が過ぎた今も出会った頃の新鮮さは忘れていませんし、この記事で思い出させてくれました。今の方がもっと愛が深まっていることにも気づかせてくれました。
木皿泉さんご夫妻のように「大事にお互いの愛を育てていくもの」というのは素敵ですね。