久しぶりのブログになってしまいました。11月中旬に母が急変し他界したためでした。

先月までは、喧嘩するぐらい元気でしたので、入院1日半でご先祖様からお迎えが来た時には、驚きのため頭が追い付かない感覚でした。

施設より入院の連絡を頂いた時には、「1週間程の入院だと思いますよ」と言った状況からの急変でしたので、命のことはほんと予測がつきませんね。

もちろんとっても寂しいのですが、私は魂や輪廻転生を信じるタイプですので、また違った状況や関係性で母の魂と出会えると思っています。

母の存在がいない今、私は娘ではなくなりましたので、お葬式は母娘の卒業式でもあったのかなと涙した日を思い返しています。

振り返ると「あーすれば良かったのかな?」ということはありますが、もう一方では「やれることは、精一杯やれたのかな」とも思います。

改めて実感することは、親の介護を考える時、必ず子供は人生を犠牲にしてまでやらないことだと思いました。

私の場合、親からの精神的自立はずっとテーマであると思っていましたので、母の介護を考える時は意識していました。施設の手続き、毎月状況を見に行き好きな物を買って持って行くなどは欠かしたことはありませんが、決して無理はしていません。たとえ母が寂しいと言っても時間が来れば「また来月ね」と笑顔で帰っていました。

私のなかで可能な時間は2~3時間です。買い物を終えると施設の話を聞かせてもらいます。もちろん愚痴も出てきますが、それを「何とかしないと」とは思いません。ただ、ただ「そうなのね」と聞いているだけ。

長くカウンセリングを習っていますがカウンセリングの基本は、「気持ちを聞いて動かない」なのです。動かないというと冷たく感じるかもしれませんが、もちろん必要な時には動きます。愚痴を言っていて、それに対して何もできない時には、この基本的な考えが役に立ちました。

カウンセリングは

お話を聞かせていただき、具体的にお世話をするなど動いたりはしません。クライエントさんの力を信じて、クライエントさんのお話を聞かせていただくことで、その人の力を引き出していくというものなのです。

予断になりましたが、母が施設で上手くいかないことがあって(大体は、人間関係でした)私が全て面倒を見るよと言った時、私が大変というだけではなく、プロの介護士さんのようにはできません。自分の人生を全て母の介護のために費やすことになります。すると、イライラしてしまいますし母の犠牲になったと認識してしまいます。

お互いにベストな選択ではないと思いました。

母への感謝を忘れず、無理をしないで私は私の人生を生きることを考えて母に会うと、心に余裕を持って笑顔で接することができました。それは、お互いにいい関係性を築いていくことにもなりました。

親の期待に応えようとすると、それだけで精神的に疲れてしまいます。自分の人生を見失わないで自分は自分の人生を生き、可能なことは、精一杯サポートさせていただくそんな選択をしました。

息子さん、娘さんが会社を辞めてまで介護をされると、親が亡くなった後、自分の人生をどう生きていいのか見失っちゃいますよね。

それぞれの選択肢ですので、良い悪いではないのですが・・・

お互いのために施設に依頼した方がいいと思ってみても、罪悪感が湧いてくる場合は、もしかするとトラウマさんの影響があるのかもしれません。

私は、カウンセリングを学びながら、FAP療法に出会い「トラウマさん」をどんどん解消することができましたので、自分の人生を生きれたのだと思います。トラウマさんを解消していくことで、母との共依存関係も解消することができましたので、これまた、自分の人生を生きることに繋がったのだと思います。

母が他界した後も、心の整理のためにFAP療法受けましたので、比較的早く日常に戻れたのではないかとも思いましたので、ご紹介させていただきますね。FAP療法詳しくはこちら